開催時期

2013年

参加イベント

Genesis 4

概要

 GENESIS-4 起源展

『未来形の七福柱』 阿蘇アースアートミュージアムのエントランスとして

池田 一

2013年10月25日。台風27号の影響で、阿蘇フォークスクールの入口では、寒い雨の中での作業が続く。路傍に見捨てられた杉の巨木の切り株を、土中から掘り出す作業は、雨のせいで泥っぽい。それでも、十数人の手が朽ちた切り株と格闘し続けるのは、「何が出現するか?」という未知の出会いがあるからだ。6月に調査に訪れた時から、決めていた。今回の阿蘇では、「起源とは,何か?」という問に向き合うことにする、と。山肌に沸き立つ水蒸気が、刻々山容を変える光景に出くわすと、ますますその確信が正しいと合点する。「作品は、作らない。自然から、アートを出現させる」、この決意から起源探しの旅が始まった。

その年、珍しく、各地のアートイベントを見て回る機会を得た。そこで感じたのは、「現代アートは、とっくに終焉している」という強い実感であった。震災、原発事故、地域起こし等々がテーマであれ、現代アートの枠組みでは、その周辺の意味を再解釈し、造形化するという力学を超えることはない。端的に言えば、『意味の消費』という、消費文化の顛末をより高度に加速させ、『精神の消費』という隘路に人々のエネルギーを追い込む。現代アートは、エネルギーサイクルからすると、現代という不透明な時点を起点とする限り,政治や経済と同じベクトルをもつレイヤーにはまり込んでしまったようだ。だから、いま、我々の拠って立つ起源は、この現代かと、問わなければならない。

私自身は、現代アートというカテゴリーを一貫して拒否」してきた。「Art for the Future, not Future for the Art」の必要性を説き、未来のためのアートという視点の重要性を、国内外で言ってきた。要するに、「起源は未来にある」というレイヤーへの位相転換だ。本来のアートの、未来から現代を見るベクトルが機能する領域は、アートの力学にしかない。

ここに、現代アートが棄却した未来志向の協働性が生まれる。

「起源は、未来にある」という実感が息づくフィ?ルド、それが私にとっての阿蘇である。「造形ではなく,出現だ!」と豪語出来る、誇れる背景がここにはある。だから、切り株は、『未来形の七福柱』と名付けることにした。

この『未来形の七福柱』は、未来に出現可能な「阿蘇アースアートミュージアム」のエントランスだ。箱物もなければ、展示作品も、今はない。ここでも、「造形より、出現」というベクトルが作用している。

阿蘇フォークスクールから、阿蘇五岳の根子岳に向かって広がる広大な森。そこを、アートの森として、多くの人に親しめる場所にしたい、という期待がある。しかし、私は、未来を起源とするパースペクティブに立脚して、警告したい。山や森に、個々に関連性のない作品群が自然の中に投げ出され、その上メンテナンスが悪いと、アートのゴミ捨て場と言った無惨な印象をもつ。自然の摂理を台無しにするような文化の傲慢さを知ると、「高度に発達した物質文明は、廃棄物文明に向かう」という予感が膨らむ。頑強で堅固な筈の構造物の安全神話が脆くも破壊されると、後は廃棄、再構築の、悪循環。産業廃棄物、核廃棄物、土壌も廃棄物、アートだって処理不能な廃棄物? この人類の危うさに真向に向かえる場所が、いま必要だ。未来への想像力のポテンシャルが高くて、いまは何もなくていい場所、阿蘇アースアートミュージアムのもつベクトルだ。ここに、一つの起源が出現した。

阿蘇フォークスクールを訪れる人に。『未来形の七福柱』が、待ち受けている。ちょっと立ち止まって、手で触れてほしい。それが、あなたへの、未来のエントランスであるかもしれないのでーーー。

Art Work

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